広告批評

『広告』についての色々書きます。

広告コピーってこう書くんだ!読本 谷山雅計著 を読んで

 

広告コピーってこう書くんだ!読本

広告コピーってこう書くんだ!読本

 

  今日はこの本を読みました。

 正直言って、この手の本は「広告」や「クリエイティヴ(笑)」、あるいは「自己啓発」が好きな人が好んで読みがちだと思っていたので、いつも敬遠していました。

 本屋でパラパラと中身をめくっても、ページ数から受ける印象とは違って字のフォントは大きく、上下左右に余白がたっぷりとあって、行間も広く、読みやすいは読みやすいんでしょうけど。

 その薄く引き伸ばされた本文のカタチ自体に、内容の薄っぺらさが表れているような気がして、こういう類の本は好きではありません。

 なんだか、意識の高まった学生をお手軽に騙しているような印象さえ持っていました。

 以上はかなり強烈な偏見ですが、僕はそういう印象を持っていました。

 でも、出版物については、読んで5分でその本の質がわかる程度にはリテラシーは高まっていないので、先入観は捨てて、食わず嫌いは捨てて、しっかりと読んでみようと思いました。

(※自信過剰かもしれませんが、映画や映像作品に関して言えば、5分も見ればその作品の大体の質が分かります。)

 前置きが長くなりましたが、率直な感想を言います。

 

「あまり面白くありませんでした。新たな気付きもありませんでした。具体性にもかけていました。」

 

 僕が高校生や大学生なら、入門書としてある程度の道筋にはなり得たかもしれません。ですが、広告という仕事、ビジネスに携わりたいと思っている今の僕には申し訳ないですが、あまりピンとくる文言は書かれてありませんでした。

・受け手目線で

・自分がどう感じるかではない

・才能や感性ではなく、論理性が重要

 ざっくり要約するとこんな感じです。これから他にもコピーライターさんや広告クリエイターさんの著作物を色々と読んだりしていきたいと思います。

が、恐らくどの本にもこの3点が違う言葉と事例で記されているだけじゃないかというのが、僕の予想です。

 この本の中盤で新潮文庫の「yonda?」キャンペーンについての企画書や提案事例が紹介されています。

 

   新潮文庫の本を買った冊数に応じて、キーホルダーやマグカップなど色々なグッズがもらえるというキャンペーンを企画したそうです。

 僕は一通り我慢して読んでやっぱり「エェェ、、、」と引いてしまいました。

 「そ、、、そんなのどこでもやってるじゃないか、、、。」

 もちろん、著者の言いたいことはそんな結果のことではなくて、そのキャンペーンを企画し、クライアントに提案する過程における思考の強固なロジック、論理性について、です。

 でも、そのロジックも僕からすれば、というか広告とかそんな一見華やかな世界じゃない地味な商品を提案している世の多くの営業マンからすれば、そんな提案でよく通ったなと思わざるを得ない拍子抜けのものでした。

 実際に書かれてあるポイントを抜粋します。

 

・美術館と同じように、新潮文庫でも「人間失格」「鼻」「雪国」「変身」・・・など、数々の名作にちなんだすばらしいグッズが作れるはず。

新潮文庫のオビにクーポンをつけ、何冊(あるいは何十冊)か読めば、これらのミュージアム・グッズが必ずもらえるというシステムをつくりたい。

・もらえるものが、従来のプレミアムとは一線を画したセンスのよい「新潮文庫ミュージアム・グッズ」ならクーポンをやっても知的・高級になるはず。

 

 どうですか。なんかガッカリしませんか?僕はガッカリしました。

こんなことでお金がもらえるのか、こんなことが単行本の中盤、クライマックスで発表できるほど甘い世界なのか、と思いました。

もし本当にそうなら、それはちょっとチョロすぎじゃないか?

 というか、なんか発想が幼稚すぎやしませんか?となりました。

 プロフィール欄にも書いてある通り、僕が今勤めている会社は商品広告など一切必要としてない業態です。

一般消費財でなく、BtoBの資材関係を取り扱っている専門商社です。

 上席のおじさん社員たちは、広告なんて邪魔臭いものだと思っているし、アートなんてしょーもないと公言してはばからない、実に素直な感覚の集団です。※僕はもちろん広告もアートも好きですが、それとはまた別に、その素直さをとてもリスペクトしています。

 仮に僕の会社が一般消費財を扱い出して、僕が広告担当になってこんな提案を持ちかけたら、と考えただけで身の毛がよだちます。

 なぜか。

 それはこの提案材料としてなんの数字も統計すらも出てこないからです。

そうです。僕がこの手のいわゆる「こうすればいい本」に常々抱いている違和感や信用の無さは、ここにあります。

数字の話が出てこないのです。

 実はこの企画の前端としては、なかなかいいこと、クリティカルなことを言っています。

「わざわざ新潮文庫を選ぶ理由を作るコト。」

「長期的に見て、もっと「売り」にむすびつく活動をしたい。」

 具体的な提案に移る前に、この2つの認識を聞かされたクライアント側としては、「ああ、単なる「おしゃれな」「品の良い」イメージ広告提案ではなくて、ビジネスとしてうちの広告を請け負ってくれているんだな」と感じるんじゃないでしょうか。

 しかしいざ、その具体案として提示される内容の本質が「クーポン」や「グッズ」ときたら、経営者側からしたら「ナメてんのか、ぼけ」とでも言いたくなるっMじゃないでしょうか。

 

 確かに、広告のプロと名乗っている相手から、こういうプレゼンを自信満々に歯切れよく説明されると、ある種の魔法にかかったみたいに、こんな提案でも信じてしまうのかもしれません。

 自分のところで上手い売り方を生み出せない不安があるから広告会社に頼るのでしょうから。

 僕はビジネスとしても、ゲームとしてのコンペティションにも、宣伝会議さんの主催する養成講座にも一切関わったことのない外野です。

それでも、同じビジネスマンとしてこれには素直に納得できません。

しかし、これまで書いたこのディスこそを愛してしまっていることもまた事実です。

 広告ビジネスの事例としてこんなお粗末な企画や過程を(NHKのプロフェッショナルや情熱大陸で特集される広告クリエイティブの現場もまた、同様に幼稚です。)さも、格好良く出せてしまう。

 そんなプレゼンテーションが表面上はいとも簡単に採用されてしまう(ように見える)ところに夢を感じてしまうのです。

 あけすけな表現をすればやはり、「ハッタリ」です。

 上手なハッタリには、たとえそれが客観的な結果を生み出さないにしても、どこか人を幸せにさせてしまう力があると思っています。

 この広告がもつ「ハッタリ」の力についてはまた今度書きたいと思っています。

 そんな広告の夢を見せてくれたという点においては、この本を読んでもよかったと感じました。

 少しの風でぽとりと落ちる線香花火のようなしょぼい夢ですが。

 最後にかなり強引に褒めてはみましたが、結論としては当然お金を払って読む価値はありません。

 コピーライティングという仕事にふわふわとした幻想気分を味わいたい人は、どうぞ。