広告批評

『広告』についての色々書きます。

広告業界について

 

お世話になっております。

広告批評です。

 

今回は広告業界で働くことについてです。

ここ数日と今日、以下の記事を読んだことで思い浮かんだ感想をまとめました。

二つの記事を貼り付けます。

 

電通、田中泰延さんの記事

www.machikado-creative.jp

 

同じく元電通の前田将多さんの記事

www.huffingtonpost.jp

 

 

僕はお二人のツイッターをフォローしており

普段の投稿は元広告人らしい茶目っ気あるものばかりで

実に面白いのですが(このブログ読んでる方々ならご存知の方も多いかと思いますが)

うって変わって、この二つの記事は文意も文面も、共にシリアスです。

 

多く報道にもあったように電通は、当時の新入社員の方に違法残業をさせたとして

50万円の罰金を命じられました。

www.nikkei.com

 

僕がこの記事を書くことも、この事件の悲劇性に

小さくとも加担してしまうのではないか、という自意識過剰な思いもありますが

僕はそんな広告業界で働きたいと思っている若い人間の一人として

他の誰でもない、自分のためにこの記事を書きます。

 

奇しくも僕は彼女と同い年だったようです。

僕はその頃関西の大学におり、上記の田中さん、前田さんが在籍していた

大阪の電通関西支社で新卒採用の面接も受けました。

当時の僕は今よりももっと漠然と、つまりほとんど何も考えずに

本当に何も考えずに単純にノリだけで広告業界で働けたら面白そうだな〜、と

頭すっからかんの状態で面接に挑み、

ここでは書けないような個人的なエピソードを披露し、不採用となりました。

 

おそらく同じ時期に彼女も東京で採用面接を受け、

見事自分の希望の会社へ参加することができたのでしょう。

そして結果的には彼女は命を絶ち、僕はのうのうと生きています。

 

僕は今、彼女の結末と対比して、自分の生を後ろめたく思うことはありません。

かといって、踏ん反り返って大手を振って、自信満々に

人に話せるような人生も送ってきていません。本当に恥ずかしいことですが。

 

広告業界には変な人がいっぱいいるとのことでです。

どの媒体に掲載されている記事や、ブログ、

昔バイトしていた夜の街で見聞きした経験から、これは事実なんでしょう。

また密接な付き合いがあるであろうメディア業界や音楽業界、芸能界にも

変な人がいっぱいいると聞いたことがあります。

僕は、ベースの部分ではまさにその変な人たちの近くにいたいと思い、

業界を志望し、そして受け入れられず、今の真っ当な会社に拾ってもらいました。

 

正直言えば、今の仕事は完全にホワイト企業

(将来はどうなるかはわかりませんが)

待遇面でその他の大企業に勤める同級生に比べ不公平感や不満は一切ありません。

無論、土日は完全に休み。

明日の祝日ももちろん休みで、よほどのことがない限り、

夜の8時以降や休日に客先や身内から電話がかかってくることもありません。

休日出勤は原則認められていませんし、万が一納品等で

休日に現場へ出なければいけない場合は、事前に上長に申請・承認が必要で

そのプロセスは僕でも意外と思うほど厳格です。

当然、残業代や時間外労働に対しての対価は明確に管理され支払われます。

 

でも僕はそのような何不自由ないこの会社をゆくゆくは去り

自分の望む世界へ足を踏み入れてみたいと思っています。

それがもし、昔の自分が想像したような華やかなものではなかったとしても

実際には泥臭く地味な作業の連続だとしても

最低限のモラルや社会的規範から著しくはみ出している場面があるとしても

同じ人間が何度も1ヶ月以上の入退院を繰り返すような過酷な労働環境だとしても

今の僕はまだそれを実感していないのだから

甘っちょろい、極めて消費者的で現実知らずの憶測でしかないけれど

噂に聞く変人たちと仕事をし、自分もその仲間に入れてもらいたい。

一度はその門をくぐってみたいと思うのです。

 

 

広告業界は本当に無法地帯なのか、おそらくそうなのでしょう。

予約を入れられない人生との戦いになっていくのだろうか、それも変わらないのでしょう。

これから参入しようとする僕自身がこのように覚悟してしまうのも、

いつまでも業界が変わらない大きな要因であることは間違いない。

 

僕の憧れる変な人たちは、いつまでもそこにいるだろうか。

そんな環境にいつまでもしがみついているだろうか。

今のところ、僕にはわからない。

 

 

 

他方で、僕の中学生時代の同級生に、テレビ局の営業として新卒で入社し

少し働いたのち、フリーランスとして生きていくことにスイッチし

幾らかの広告収入を毎月ブログ内で報告している人がいる。

その他大勢のブロガーと同じように

満員電車に揺られる人生は嫌だといい、

時間も場所も縛られて、組織に埋没していく人たちを

無益に消耗している人たちとして揶揄するスタンスをとっていたり

(かと思生きや、今月からもう一度会社員として再就職していました)

かつてそのような環境に属し、適応できなかったからといって

日本の都市型のハイプレッシャーな働き方について

人一倍過敏に反応し、自己肯定し続けているように見える

その人や、その人たちを僕は尊敬できません。

kobunikki.com

 

狂っていることを自覚しながらも、馬車馬のように働くこと

確かに合理的に考えれば、馬鹿げています。

そのような形で働くこと自体が、全体の生産性にマイナスの効果を生んでいる。

そのことは誰もが理解できる。

でも、そうはできない現実がある。

 

僕も、小さいながらも商社で営業として働いており

以下のブログで元博報堂中川淳一郎さんが上げている通り

毎日得意先へ通うにあたり「お土産」を持参するようにしています。

jnakagawa.blog.jp

 

別に僕が博報堂社員と同じレベルで仕事がデキることをアピールしたいわけじゃなく

自分に売りがない状態、自分自身が相手のメリットになってない状態の時は

代わりとなる価値あるものを用意して伺わなければ

同じ金額で同程度の価値を提供してくる同業他社と差別化が計れませんから当然です。

僕の業界や広告業界に関わらず、全ての「営業」と名のつく働く人たち共通の問題だと思います。

 

 

 

再度、前田さんの記事を引用します。

 

電通の人間は基本的には仕事が好きで、楽しいことを実現したいと思っていて、やめろと言われても仕事をするような人たちだ。」

 

もしも噂通り、本当にそうなら僕はやっぱりその界隈に潜り込みたい。

そんな人たちと、あれやこれやと世の中を面白くする企画を考えたい。

その一方で、なんでもアリの無法地帯に、今回の事態を受け、業界で働く方々の命の一線が守られるような厳然たる法整備や就業モラル、クライアントとの健康的な関係性が生まれるならそれに越したことはない。

が、そんな縛りは何も期待できないでしょう。

それでも、制約の中から価値あるものを生み出して来た文化に

非合理的で、体育会系で、汗水ど根性な風土の中から出て来た数々のクリエイティブに

間違って魅せられてしまった僕のような人間がいることを、

そして今日より、僕のような人間が未だかつてないほど

爆増していくということを、現在広告業界で働いていらっしゃる方々、

これまで広告業界で尽力されて来られた方々に知ってほしいです。

今はまだタブーかもしれませんが、言いたいです。

頑張ってください。

尊敬しています。

僕もいつかそちらへ行きます。お土産を用意して。

 

おしまい