広告批評

『広告』についての色々書きます。

お久しぶりです。

 

どうもこんにちは。お久しぶりです。

 

1ヶ月更新していませんでした。

その間何をしていたのかというと、

宣伝会議賞への投稿に勤しんでたりしていました。

はっきりと言って、僕は単に勉強不足です。

広告についてはおろか、政治や経済についても何も知りませんでした。

ずっと知った気になっていました。

ネットニュースやネット有名人の細かなつぶやきやオピニオンに触れているだけで

自分がすでに何者かに成っているような錯覚に陥っていました。

 

広告コピーでも何でもそうですが、「ものを書く」とか「説明する」って

その瞬間に初めて学びが成立したり、

あるいは、思ったことについて、一文字ふた文字書いた瞬間

その時に初めて学びがスタートしたりするもの何だなあと実感しました。

 

単純明快で、今更何を・・・という話ではありますが

ツイッターでエッセンスだけぽろっとそれっぽいことを呟いて

わかった風に振る舞うのは僕の人生にとってかなりクリティカルな損失でした。

僕はこういった行為を「損切り」しようと思います。

だいぶ出血した後ですが、まだギリギリ(広告人ワナビーの夢の実現には)

間に合うと思っています。

というか、間に合わせます。頑張ります。

 

 

 

・・・「損切り」という言葉を使いました。

これは一般的に広告についての言葉ではありません。

投資とかFXに関する言葉です。

なぜそんな言葉を使ったかというと

「広告」というテーマを深堀りしていくと

僕は経済の壁にまずぶち当たったからです。

僕はこの壁の存在を最初は理解できませんでした。

しかし、自分が向かうべき道は間違いなくこの道の先にある。

今回この壁を回避してもおそらくまた近い将来に

必ず現れてくるだろうという予感がしました。

 

そしてふと気が付いた時には

僕は仮想通貨や株式投資HTML5CSS言語についての本を借りて読んでいました。

完全に広告から遠く離れて行ってしまいました。

そして恐るべきことに、広告なんて近未来にはその役目を終えるから

僕が将来やりたかったことなんて、それができるようになる頃には

もうこの世からなくなっっているだろうという結論にまで至りました。

 

しかし、それもまた冷静になった今ならもう一度否定することができます。

これは正当化ではなく、人が人とコミュニケーションをとり、

また人と人とがバラバラに生きている限り、

本質的に広告的な働きは必要とされるからです。

もちろんそれは今のようなビジネスの形は取らないかもしれませんが。

 

少し脇道に逸れてしまいましたが

やはりちゃんと戻ってきました。自分自身で安心しています。

もう一度広告について感じたこと、思ったこと、学んだことを(中心に)

つらつらと書いていこうと思います。

 

以上、よろしくお願いします。