広告批評

『広告』についての色々書きます。

考えれば、広告はますますゲーム

 

いつもお世話になっております。

広告批評です。

 

ここ最近、本当に毎日広告と任天堂の事ばかり考えています。

本当に偉い。考えれば考えるほど任天堂は偉い会社だなぁと。。。

ゲームを通して、文字通りの意味でコミュニケーションを作っているし

その反面、コミュニケーションが苦手な人への配慮や対処も忘れない。

 

人がプログラミングとどういうコミュニケーションを取れば気持ちがいいか

人が人とどういうコミュニケーションを取れば気持ちがいいか

新しいコミュニケーションはないか

そのブラッシュアップの連続が任天堂の歴史なんじゃないかと思います。

ここが本質でしょう。

 

ただ、コミュニケーションが万能で至上かといえば

個人的にはそうとは思いません。

僕にもほんのすこーーしだけ気持ちが分かりますが

本質的に対人コミュニケーションが苦手、あるいは嫌いな人もいるのは事実です。

ある時までそんなの全部カッコつけの孤高気取りかと思っていましたが

どうやらそういった俗っぽい批判とは全く異なる本質が存在するようなのです。

 

少し話をずらします。

「ガチャ」ってあるじゃないですか。パズドラとかモンストとか。

僕は全く興味が湧かないものの、あんまりみんながやっているので

一度試してみたのですが

パチンコに感じるのと同じような嫌悪感を抱いてすぐに去りました。

 

ああいったいわゆる「スマホゲー」がゲームとして認識されて

なおかつ圧倒的な市場価値を持ちながらも

任天堂がなかなか参入せずにいたかといえば

「あんなのと一緒にされたくない」

というプライドでしょう。

実際、多くの任天堂ファンや他の据え置きゲームやポータブルゲームのファンも

任天堂にはそっちの道にいってほしくない・・・」という

なんとも言い難い微妙な倫理観みたいなものが胸にあったと思います。

 

それはなぜか。

なんで同じゲームなのに、パズドラもモンストも他のガチャゲーも

今までのゲームとは別のものとしてみられているのか。

(「期間限定!〇〇、もらえる」とか言ってただの画像を売りつけながらも)

ちゃんとその交換やオンラインでの協力プレイも交えて

多くの人々のコミュニケーションを作っているじゃないか

ゲームとしての必要条件は満たしているじゃないか、と。

確かにそうです。

ただの画像を売りつけて・・・とかいうのであれば

遊戯王は、デュエマスはどうなるのか、あれらと何が違うんだ、と。

確かに紙ゴミも出さないですし、スマホゲーの方が全然環境に優しそうです。

 

同じ条件を満たしているにも関わらず、こうも受け止められ方が違う理由は

「物語性」の有無にあると思います。

 

現段階では、技術的にか慣習的にか、要因は様々あるでしょうが

スマホゲーには「物語性」が実装できていないと思うのです。

 

「物語性」とは何か。

・・・・続きは明日書きます。