広告批評

『広告』についての色々書きます。

ご挨拶

 こんにちわ。僕は現在日本に住んでいる20代の男です。

好きなものは『広告』です。

 小さい頃から、そんなもの覚えても何の得にもならないような他愛もないローカルCMソングを口ずさんでいました。

田舎育ちの僕にとっての最大の娯楽はやはりテレビでした。

僕は典型的なテレビっ子であり、世の中の典型的なテレビっ子がそうであるように、やはり番組の途中に挟まれるテレビCMさえも、僕にとってはちゃんと鑑賞の対象でした。

でも一緒に観ている親や兄弟は、番組がCMに入ると迷わずチャンネルを換えようとしました。

他の番組が彼らにとって全く興味のない番組だとしても、『CMを観るのよりはマシ』といった態度で無慈悲にもザッピングを繰り返していました。

あいにくどのチャンネルもCM中だった場合などは露骨に「ハァ〜、、」とため息をつく始末でした。

僕はCMもちゃんと観たかったので、別にそんなこと言わなくてもよかったのですが、少し抗議すると親兄弟は物珍しそうな顔をこちらに向けて「意味わからん」とつぶやいて、またリモコンをぽちぽちとやるのでした。

当時から僕はどの番組のどのタイミングでどのCMが入るかが何となく頭の中に入っており、それをきちんと確認することに奇妙な安心感を覚えていました。

また、チラシも大好きでした。

チラシには写真がいっぱい載っていて、観ているだけでワクワクする気持ちになり、土日や、特にクリスマス前になるとおもちゃ屋のチラシやユニクロのチラシなどがいつもより大きい紙で朝刊に挿入されていて、買いもしない、その商品群を眺めては一人ささやかな妄想に浸ることが好きでした。

看板にもすぐに目を奪われていました。

まあこれは今でも割とそうなんですが、通学路やよく通る道にあるビル看板や、街頭広告、電柱広告、ネオンサイン、「全部に目を通さないと通過してはいけない」という謎ルールを設定して遊んだりもしていました。

そして、僕はいつしか『広告』を純粋に楽しむことから一歩進んで

「何で僕はこの広告に惹かれたんだろう」

「僕はこの広告のどこに魅力を感じたんだろう」

というふうに考えるようになりました。

綺麗な女の人が写っているからだろうか、

文字の形がかっこいいからだろうか、

並べられた言葉に考えさせられたからだろうか。

広告に触れた時と場所が何となくよかったからだろうか。

それとももっと単純に、広告に提示された金額や数字が何となく得する気分にさせるからだろうか。

そんなことをぼんやりと考えているうちに、僕は大学で商学部に入り、広告の講義もちらほらと受けました。

でも、商学部での講義では広告それ自体はあくまでも大きなマーケティング戦略の中の一つとして扱われていて、当時の僕や他の広告好きな学生が魅力を感じていた広告の情緒的な部分は社会学部のメディア論の中で議論されていました。

僕はその社会学部での議論もとても好きでした。

が、その内容は『広告』の表現方法にだけにとどまっているように感じ、経済的な側面に関してはあまり話されなかったのが少し不満でした。

僕は『広告』の商売っ気の強いところや、身もふたもないような雑で下品な表現も同じ目線で好きだったからです。

とまあ、ここまで読んでくれた人は「そんなに『広告』『広告』と言ってるお前はさぞかしその『広告』とやらに詳しいんだろう」と思うかもしれません。

でも、ぶっちゃけ全然です。

分かったふりをして、分かったつもりになっていました。

でも、もう一度自分が好きなものに立ち返り、自分が好きなものに向き合いたいと思い、このブログを立ち上げました。

これから僕の好きな『広告』について色々書いていきます。

『広告』の歴史から、経済的影響、経営との関係、風景、芸能・美術との関係、メディア論、これからのあり方。。。

時に真面目に、時に不真面目に、情緒的に、または冷たく狡猾に『広告』について書いていきます。

繰り返しますが、これは僕が『広告』の世界へ実践的に関わる為のプログラムです。

『広告』の消費者側から、生産者側へ回る為の理論的な準備です。

それでは、よろしくお願いします。