広告批評

『広告』についての色々書きます。

広告は言葉か?画像か?

 

お世話になっております。

広告批評です。

 

全然書けていないですが(そんなことじゃいけませんね)

草野球ならぬ、草コピーライティングである

「今日のキャッチコピー」なるものを書いているうちに

ふと、前から思っていた疑問がむくむくと大きくなりました。

それは

「広告表現の本質は、言葉にあるのか、画像にあるのか」

というものです。

言葉とは、字義通り、言葉です。キャッチフレーズやボディコピー、宣伝文。

画像というのは絵や写真や動画。視覚効果全般を指します。

「音声」に関しては今回は考察の焦点を絞るためにあえて除外します。

 

例えば、「ポスター」

その中でも今一番ホットな話題である政治家の選挙用ポスターを例にとります。

(広告とは経済的な要素や社会学的な要素が強く強調されがちですが

もう一つの本質的なテーマである「政治性」はより深く語られて然るべきだと思います、これもまたの機会に。)

さて、選挙用ポスターですが、ここで政治家jは何を一番「ウリ」たいのでしょうか。

まずは何が何でも自身の「顔」でしょうか?

それとも、これを書かれないとなんの意味もない、「名前」でしょうか?

僕は選挙ポスターほど、広告の本質に迫る上での題材として面白いものはないと思います。選挙カーから聞こえてくるやかましい「音声」はその次くらいに。

 

あの決められた大きさの四角形の中に

どんな頭の悪い有権者にも届くように自分の存在・情報を認知させないといけない。

落選すれば即無職という人生を賭けた一大キャンペーン。

(どうでもいいけど「即無職」って響き面白いね)

そんな大変な活動のために、人々を動員し

「投票」という行動に駆り立てるために

心血を注がれたクリエイティヴがそこに・・・・・

ないやないかーーーーい。

 

ないやないかい。そんなんでええんか。

もっとお洒落に先進的にアッピールすべきじゃないのか。

なんてそうでもいいくせに勝手に心配するこちらに対しておかまいなしに

あのダサい、ダサすぎるポスターをいつまでも突きつけてくる政治家連中には

ほとほとウンザリしてしまうのですが、そんな話も今回は関係なく。

 

選挙ポスターを構成する要素は大きく分けて三つ。

一つ目、顔写真

二つ目、名前

三つ目、その他政党名や公約やキャッチフレーズ等の飾り文。

 

おそらくそこまで深くは考えられてないと思いますが

この構成は絶望的にダサいですけど、シンプル故に、強いです。超強力です。

しゃらくさい文章なんかどうせ読まれません。

そんなに有権者は賢い状態で、感覚的にリッチな状況で、ポスターを観ません。

他のどんな商品ポスター(缶ビールとか家電製品とか)

と比べてみても圧倒的に解釈の幅が狭められています。

イメージキャラクターも何もない。

(まぁイメージも何もその人自身が商品ですからね)

 

僕はそういうポスターを見るたびに

世の広告クリエイターたちはどう感じるのかなと、よく思いを馳せます。

無理難題を押し付けられた上でのリライト、リテイクを繰り返し

やっとことで完成・納品したコピーライティングもキービジュアルも

政治家の選挙ポスター並みの強度でメッセージを、情報を、

的確に、強力に伝えられているんだろうか、と。

自分たちの仕事はなんと無益なことだろうとやけ酒に走っていないかどうか

いつも心配になります。

 

全然、広告は言葉か、画像かの話の本質にたどり着けませんんでした。笑

はい、正直に言います。圧倒的に知識不足でした。

人間の情報処理や、認知のメカニズム、精神構造の本などを読んで

たこのテーマに出直したいと思います。

 

このブログは、広告業界への転職活動と同時並行的に、

何ヶ月後か数年後に振り返ってみて、僕の成長を実感する

そういう目的のために設けられたという側面もありますので

暖かい目で見守ってください。

人間が成長するとはどういうことか、

これを読んでいる希少な方達にお見せできればと思っております。

 

それでは、言い訳がましく今回は逃げさせてもらいます。

もう一度、勉強してきます。

 

 

 

 

 

おしまい