広告批評

『広告』についての色々書きます。

Apple的、広告の位置づけ

 

 

いつもお世話になっております。

広告批評です。

 

このブログを初めてからまだ1週間くらいしか経ってないんですね。

広告について、自分の中であれこれ溜まっていたものを書いて吐き出そうと思っていたのですが、いざ書き始めようとするとなかなか考えがまとまらず、心の中のアイデアを体系立てて一つの文章で語りきることは想像以上に難しく、自分の筆力の無さに落ち込んでしまいました。

 

でもとにかく稚拙でも何でもいいから何か書かないと、と思ったので、何か書きます。

 

僕は昨日「今日のキャッチコピー」でSONYWALKMANについてコピーを考えていました。

fudge0918.hatenadiary.jp

 

その最中にふと思ったのですが、WALKMANのコピーを考えるにあたり、

AppleiPodへの意識なしに、本当に刺さるものは書けないと思いました。

WALKMANについて考えた結果、Appleについて考えてしまうことになり、少し書いてみようと思ったので、下記に示します。

 

 

www.apple.com

 

Apple製品には現在大きく分けて6つのラインナップがあります。

Mac

iPad

iPhone

・Watch

・TV

・Music

 

それぞれの製品やサービスの紹介ページへリンクを辿っていき、そこにある文章をつらつらと読み進んだとき、実はほとんどの人が何とも言えない薄ら寒さを感じるのではないでしょうか??

僕はこれまでそれほど多くの本を読んできたわけではないですが、その変なスカした感じは、村上春樹作品のあの感じと(文体こそ違いますが)すごく親和性が高いように思われます。

以下は最近発表されたiPhone Xの商品ページに書いてある最初の言葉です。

 

『私たちはずっと変わらないビジョンを持ち続けてきました。
すべてがスクリーンのiPhoneを作ること。デバイスそのものが
体験の中に消えてしまうほど夢中になれるiPhoneを作ること。
あなたの指や声、さらには視線にも反応できるインテリジェントな
iPhoneを作ることです。iPhone Xが、そのビジョンを
すべて現実のものにします。iPhone Xへようこそ。
ここから未来が始まります。』

 

 

・・・何やねん(笑)

 

冷静に、冷静に読んでください。・・・・何やねん(笑)と言いたくなりませんか??

中には、『何やねん(怒)』と なってしまったり『何やねん(困惑)』となってしまう人もいるんじゃないでしょうか。

『何なんこのしゃらくさい説明文は!未来って何やねん!デバイスって何やねん!「デバイスが体験の中に消える」??消えたらアカン!せっかく高い金出して買ったんやから!何を消えることがあるねん!』(声:千原ジュニアで読み返して見てください。せいじでも可)

とまぁ、少し揶揄するように書いたのですが、当然ながら「愛ゆえ」です。

僕はApple村上春樹も大好きです。

僕がこれまで出会ったあらゆるプロダクトの中で一番かっこいいと思ったのはiPhone4sです。村上作品では特に1Q84と世界の終わりとハードボイルド・ワンダーワンドが大好きです。バチバチに影響受けています。

リスペクトです。

 

つまり何が言いたいかというと、

Appleの広告表現、説明文は全ての製品・サービスにおいて一貫しています。

他に例を見ないくらいにガチガチに統一され、研ぎ澄まされています。

 

一方、WALKMANのコピーを作るときに、

何か参考になればと僕は改めてSONYのサイトを巡回してみました。

色々な人が手分けして書いたんだろうなぁといった印象を受けました。

色んな部門のアピールポイントを細かに聞いて、

それをそのまま際限なく書き連ねました。といった印象を受けました。

僕も正直、今更こんなつまらない日本の大企業のダサさVSクールなApple

みたいな話は書きたくないです。

でもやっぱりどうもこうもフォローの仕様がありませんでした。

一言で言えば、薄っぺらいです。サムいです。コピー書くのしんどかったです。

あ、一言で収まりませんでした。

 

そんなSONYの乱雑さに比べてAppleの統一性は、明確な意志と戦略があります。

それは誰の目にも明らかに提示されています。

何を語り、何を語らないかの取捨選択に命賭けてるんじゃないかと思うくらい、

ヒリヒリとした迫力すら感じます。

僕は、Apple社は「製品企画・プロダクトデザイン・サービス開発・広告表現」

この4つを統一した軸として経営を考えているんじゃないかと考えています。

僕は広告業界には全く関わったことはないですが、

おそらく広告戦略というものは製品完成の後に

「こんな製品できましたんで、これに合うように上手く広告戦略を考えてください!」

だったり

「こんなサービスの開発をしているんですけど、

 ローンチ前にいいアイデアを考えておいてください」

のように、まず作るものがあって、売るものがあってからのPRなんでしょうけど

製品企画の0地点からその製品がどのように社会に紹介されるかを

同時に戦略として考えているような気はします。

というか、恐らく、少し変な言い方になりますけど

「広告」の方が先で製品開発をしている面もあるんじゃないかなぁ、とも思います。

 

そしてこの4分野が渾然一体として立ち上がる瞬間の社会的イメージが、

Apple社についてのある種の品位を醸し出し

(だってそれ抜きにして平たく言えばただの家電メーカーですよ、ただの)

その独特の教義が世界中のファンを生み出し、

次の企画のエンジンとなっているんじゃないか、と考えています。

そう仮定すると、そこまで広告表現を大事にしているAppleは、

僕にとってはやはりリスペクトせざるを得ない存在です。

 

これがSONYになるとどうでしょうか。

広告はおそらく、製品完成とともに、

事後的に添えられるものとして扱われているんじゃないでしょうか。

広告にプロモーション、PRとしての役割しか求められていないような気がします。

だから中途半端なクリエイターにガチガチの演技をさせて

『だから私は、、、』とか語らせたり

商品の使用感を台本通りに喋らせるだけの

おきまりの動画を撮影してHP上で小さく公開するようなことをしてしまうのです。

それはシンプルに広告費用の無駄遣いだし、もう少し進言させていただくと

SONYのブランド価値を毀損しているとさえ感じます。

よく知らない人物に

『だから私は、、エクスペリア』とか言われても、

正直僕は「じゃあ僕はエクスペリアじゃない」と思ってしまいます。

これは広告の諸刃の剣の部分で、

「この人が使っているなら、使いたくなる」は、逆に

「この人が使っているなら、使いたくない」の批判材料になってしまうのです。

加えて言えば、僕は基本的に先端家電の広告については

属人的なCM表現は絶対に避けるべきだと思っています。

最先端のものに触れている人を見かけるのはメディアの中ではなく

現実の中で見かけるからこそ、人の欲求や憧れに突き刺さるものになるからです。

その理由はいづれ主なトピックとして書きたいと思います。

 

これはSONYを貶めるための文章じゃありません。

ここ最近のSONYの広告戦略があまりにもダサく陳腐化していることが

iPod黎明期の時代に、SONYのスティック型WALKMANを絶対的に信頼して使っていた

 あの時の僕に言い訳ができなくなるのが悔しいからです。

(てか、やっぱりこれかっこいいなぁ・・どうしようもなく00年代な感じはするけど・・・笑)

 

SONYPanasonicとは違うはずなんです。

ここでまた日本の家電メーカーをディスる訳ではありません。

Panasonicは自分の主戦場を的確に理解し、上手にコミュニケートして

ユーザーとの信頼を築けている方だと思います。

 

僕はSONYにもう一度クールな存在になって欲しい。

SONYの製品を持つことが人々の嫉妬を産むようなそんな存在になって欲しい。

そのためには広告の位置付けをもう少し押し上げて、

製品開発の段階から統一化した方が良いと思います。

 

それはAppleの後追いにはなりません。

Appleの後追いはSAMSUNGの役割です。

(まぁ、ここまでAppleを持ち上げてきて、

 今更ひっくり返すようなことをいうのもなんですけど

 このままでは早晩Appleも陳腐なものになっていくでしょう。

 iPhone8もXも、延命措置にしか感じません。

 ここ最近全然キレなくておもんないですよね・・)

 

SONYはそんな凋落していくAppleの間隙を縫って

新しい対抗軸を打ちだせるバジェットも、資源も、信頼も持ち合わせていると思います

 

繰り返しますが、

僕はその反撃のテーゼの為に、広告が果たす役割は

今後ますます想像以上に大きなものになっていくと思います。

 

以上、WALKMANのコピーを書いて考えたことでした。

偉そうにすみません・・・。