広告批評

『広告』についての色々書きます。

一人は寂しい

 

いつもお世話になってます。

広告批評です。

基本的に広告についてあれこれと書くつもりのこのブログですが、

今日は少しパーソナルなしみったれた事を書きます。

そんな辛気臭いものは読みたくないと言う方は

戻るボタン、ブラウザを閉じる、色々な方法があります。

各々のリスク管理をとってください。

 

 

突然ですが、一人暮らしは寂しいですよね。

僕が大好きな大好きなメディア、テレビを観るのも一人、お酒を飲んでも一人。

近頃旬の可愛いタレントが番組に出てて、

「あーこの子、可愛いよねー」とか

「うわー、分かる〜、こいつエエ事言うわ〜」とか

言い合える人もなく。

ビールをグラスに注いでも、乾杯してくれる人もなく。

 

前はそんな生活こそが夢で、そんな生活こそが最大の贅沢で、と思っていました。

でも、もうそんなの全然面白くない。

自分で自分に質問して返ってくる答えよりも、

趣味・趣向は違えど、それがどんなにありきたりでつまらない返しでも

僕が言ったことを聞いてくれた、僕に向けて何か喋ってくれた。

ただそれだけが、どれだけ有り難いことか。

そんな感傷に、今浸ってます。

 

あぁ、、Appleの広告戦略について思ったことを書いてる途中だったんだ。。

書き出したらまとまらず、書けば書くほど絡まり始める文章を

解いては結い、解いては結い、することが、、、今は超ダリィ。。。です。

でも、書きます。

今は誰にも求められていない文章が、

インターネットの茫漠の海に放たれ、

何処かの誰かにひょいと拾ってもらえるその日まで。

 

 

 

 

以上、おしまいです。

こんな個人的で、漂流的な文章も書いていきたいです。

Twitterをやめた今、僕が書き、「誰かに読まれる可能性」があるメディアは

今のところここだけだからです。

今から書いていくこの種の文章は大抵はセンチメンタルで

読んだ人のテンションを少し下げるものになると思います。

まぁ、カテゴリーで分類しておりますので、しみったれた感情が好きな人はどうぞ。

僕はしみったれた感情が好きです。

それは不健康なものですが、好きなのです。